平賀源内はなにをした人?死因は?簡単に解説|江戸の天才

平賀源内_カラー
目次

はじめに

平賀源内は、江戸時代に活躍した発明家・学者・作家・芸術家です。現在でいうと、科学者とクリエイターを合わせたような存在で、「江戸の天才」とも呼ばれています。

ですが「結局なにをした人だったの?」と聞かれると、なんとなく多才なイメージがあるものの掴みづらい感じがあると思います。

彼はエレキテルという電気装置を復元したことで有名ですが、それ以外にも本当にさまざまな分野で活躍しました。

この記事では、平賀源内がどんな人物だったのか、何をした人なのか、また晩年や死因についてわかりやすく解説していきます。

平賀源内とはどんな人?

平賀源内 は1728年、現在の香川県にあたる讃岐国で生まれました。

江戸時代中期に活躍した人物で、本名は「平賀国倫(くにとも)」といいます。「源内」は通称です。

もともとは武士の家に生まれましたが、学問への興味が非常に強く、さまざまな知識を吸収していきました。

特に興味を持っていたのが、

  • 本草学(植物や薬を研究する学問)
  • 蘭学(オランダから伝わった西洋の学問)
  • 発明
  • 絵画
  • 小説や戯作

などです。

つまり、ひとつの専門だけではなく、幅広いジャンルで才能を発揮した人物だったのです。

平賀源内がしたこと① エレキテルの復元

平賀源内といえば、まず有名なのが「エレキテル」です。

エレキテルとは?

エレキテルとは、静電気を発生させる装置のことです。

もともとはオランダから日本に伝わったものでしたが、壊れていて動きませんでした。

そこで平賀源内は、その仕組みを研究し、自分で修理・復元したのです。

当時の日本では、電気という存在自体がまだほとんど知られていませんでした。そのため、エレキテルは非常に珍しく、多くの人々を驚かせました。

実際に見た人々は、「手から火花が出た!」「ビリビリする!」と大騒ぎになったといわれています。

現在では当たり前の電気ですが、江戸時代にそれを研究していたというのは、かなり先進的だったことがわかります。

平賀源内がしたこと② 日本各地の特産品を広めた

平賀源内は、現代でいう「プロデューサー」や「マーケター」のような活動もしていました。

各地の特産品を調査し、「どうすれば売れるか」を考えていたのです。

例えば、

  • 鉱山資源
  • 薬草
  • 陶器
  • 農作物

などを研究し、日本全国を旅しながら新しい産業を広めようとしていました。

また、物産展のようなイベントを企画したことでも知られています。

これは現代でいう「地域PRイベント」のようなもので、かなり先進的なアイデアでした。

江戸時代に「地方の名産品を広めるイベント」を考えていたというのは驚きですよね。

平賀源内がしたこと③ 本を書いた

平賀源内は、作家としても活躍しました。

特に有名なのが、風刺やユーモアを交えた作品です。

当時の社会を面白く描いた文章を書き、多くの読者を楽しませました。

ただの学者ではなく、「人を楽しませる才能」も持っていたのです。

また、キャッチコピーを作るセンスも非常に高かったといわれています。

有名なのが、夏に売れないうなぎ屋へ向けたアドバイスです。

平賀源内がしたこと④ 絵やデザインも得意だった

平賀源内は、美術の才能も持っていました。

絵を描くだけでなく、陶器のデザインなどにも関わっていたとされています。

つまり、

  • 科学
  • 文学
  • 芸術
  • 発明

をすべてこなしていたのです。

現代でいえば、

  • 発明家
  • 小説家
  • デザイナー
  • 科学者
  • コピーライター

を一人でやっていたような人物ともいえるでしょう。

そのため、「江戸時代のマルチクリエイター」と呼ばれることもあります。

「土用の丑の日」にうなぎを広めた?

平賀源内には、

「夏にうなぎを食べる文化を広めた人物」

という有名なエピソードがあります。

夏になるとうなぎが売れず困っていた店に対し、

「本日、土用丑の日」

という張り紙を出すよう提案したところ、大繁盛したという話です。

現在でも「土用の丑の日にうなぎを食べる」という文化がありますよね。

ただし、この話には諸説あり、完全な史実かどうかははっきりしていません。

それでも、「平賀源内はアイデアマンだった」というイメージを象徴するエピソードとして有名です。

なぜ平賀源内はすごいのか?

平賀源内が評価される理由は、「新しいものに強い興味を持っていた」ことです。

江戸時代は、現在ほど海外との交流が多くありませんでした。

しかし平賀源内は、西洋の知識にも強い関心を持ち、積極的に学んでいました。

また、「面白そうだからやってみる」という発想力も持っていました。

現代でいうベンチャー精神のようなものを、すでに江戸時代に持っていたのです。

だからこそ、多くの分野で活躍できたのでしょう。

平賀源内の最期、死因について

才能にあふれていた平賀源内ですが、その人生は決して順風満帆ではありませんでした。

晩年は生活に困り、人間関係でも苦労したといわれています。

そして1779年、口論の末に人を傷つけてしまい、牢屋に入れられました。

その後、獄中で病気になり亡くなったとされています。

非常に波乱万丈な人生だったのです。

源内の死については当時から複数の説があり、真相には謎も残されています。

  • 破傷風(通説・有力): 投獄中に負った傷から感染症を引き起こしたとする記録が残されています。
  • 餓死説: 投獄されたことを恥じ、自ら絶食して命を絶ったとする説もあります。
  • 脚気(かっけ)説: 当時の劣悪な牢屋の環境から、栄養失調などを伴う病死とする見方です。

平賀源内は「江戸時代の天才」

平賀源内をひとことで表すなら、

「江戸時代の天才」

という言葉がぴったりです。

発明、科学、文学、芸術、ビジネスなど、あらゆる分野に興味を持ち、新しいことへ挑戦し続けました。

現代でも、「いろいろなことに挑戦する人」は魅力的ですよね。

平賀源内は、まさにその先駆けのような人物だったのです。

まとめ

最後に、平賀源内が何をした人なのかを簡単にまとめます。

平賀源内の主な功績

  • エレキテルを復元した
  • 西洋科学を研究した
  • 日本各地の特産品を広めた
  • 本を書いた
  • デザインや芸術でも活躍した
  • 土用の丑の日のエピソードで有名

つまり平賀源内は、「発明家」であり、「クリエイター」であり、「学者」でもあった人物です。

江戸時代にこれほど多才な人物がいたというのは、本当に驚きですよね。

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